2024年パリ五輪出場権を獲得した男子バレーボールで大活躍の高橋慶帆(けいはん)選手。
イケメンの容姿も相まって大人気ですね。
そんな高橋慶帆選手はいつからバレーボールをはじめて、いつ頃から頭角を現してきたのでしょうか?
この記事では高橋慶帆選手の中学や高校など学歴に焦点を絞って慶帆選手をご紹介していきたいと思います。
高橋慶帆選手のプロフィール
名前:高橋 慶帆(たかはし けいはん)
生年月日:2003年10月13日
年齢:19歳(2023年10月現在)
出身:千葉県旭市
身長:193センチ
体重:85キロ
所属:法政大学
ポジション:オポジット
高橋慶帆選手はイラン人のお父さんと日本人のお母さんとの間に生まれたハーフです。
なので高身長のイケメンなんですね。
高橋選手の名前は「慶帆(けいはん)」という変わった名前です。
これはペルシャ語で「世界」という意味。
ご両親が
という願いをこめてつけられたそうです。
慶帆選手は子供の頃ハーフであることに複雑だったそうですがこの名前の意味を知ってハーフであることが受け入れられるようになったそうです。
世界的に活躍するときにはハーフはたくさんの強みがあるように思えますね。
高橋慶帆選手の出身中学はどこ?校則でバレー部へ
慶帆選手の出身中学は
千葉県の旭市立海上(うなかみ)中学校
になります。
2階建ての校舎は珍しいですね。
敷地が広いのでそれを活かした建築をされたのでしょうか。
自然に恵まれた良い環境の中学校に通われていたのですね。
実は意外なことに慶帆選手がバレーをはじめたのは
だそうです。
当時慶帆選手は小学校2年生からクラブチームでサッカーをされていたそうですが、けがをしたことからサッカーをやめて中学校のバレー部に入部されました。
バレーボール部に決めた理由は
だからだそうです。
(サッカーは)クラブチームでプレーしていました。ケガなどもあって辞めることになったのですが、当時通っていた中学校は部活に参加しないといけないルールがあったんです。どこの部活に入ろうかと思ったとき、自分はチーム競技が好きだったのでバレーボールは楽しそうだなと。あと、朝練がなかったのも大きかったです(笑)。
引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/851501
旭市立海上中学校では必ず部活動をしなければいけないという校則があり、郊外でクラブチームなどに入っている生徒は陸上部に入るようになっていたそうです。
海上中学校の陸上部はスポーツができる人が集まるためか優秀な成績を上げられていました。
また野球選手が多く卒業生としておられる中学校でもあります。
海上中学校でのバレーボール部としての戦績は
県大会1回戦敗退
という記録がありました。
高橋慶帆選手はインタビューで「この1回の県大会出場で1回戦敗退の自分が」と言われていますが優秀な評価も受けておられました。
ちばジュニア強化指定選手 (バレーボール)高橋慶帆
引用元:海上中学校だより 平成30年10月15日
千葉県優秀選手 (バレーボール)高橋慶帆
中学2年生からはじめてすぐに高い評価を受けているのは凄いですね。
その後JOC選考会(将来のオリンピック選手を発掘する選考会)に参加され強豪高校の習志野高監督の目にとまり誘いを受けます。
身長の高さやジャンプ力、もって生まれたバレーボール選手としての優れた才能が溢れかえっていたのでしょう。
高橋慶帆選手の出身高校はどこ?監督からラブコール
高橋慶帆選手の出身高校は
千葉県習志野市立習志野高等学校
です。
慶帆選手は習志野高等学校のバレー部石川監督からそのジャンプ力に惚れられて、習志野高等学校を受験するように勧められ進学されました。
そのジャンプの高さはこちらの画像をご覧ください。
凄い高さですね!
これはスカウトされます。
けれどもは慶帆選手ははじめはとても不安だったそうです。
JOC杯の選考会も経て、中学3年生の夏に習志野高の監督から声をかけられたが、受験するかどうかは悩んだという高橋。出場したたった1度の県大会で1回戦敗退の自分が、強豪校でプレーできるか不安だった。
引用元:https://www.getsuvolley.com/
けれども習志野高等学校の春高の千葉県代表決定戦を見て、
と心動かされて受験されたそうです。
無事合格されて習志野高等学校のバレー部で練習をはじめたけれどはじめは
と話されていました。
入部当初は、練習量も内容も中学とは違い、ついていくので精いっぱいだった。さらに「経験値が少ないので、もっと上の位置からスタートしているみんなに追いつけるか、メンタル的にきつかった」と振り返る。
引用元:https://www.getsuvolley.com/
その時期は先輩や監督に支えられて前に進めたそうです。
また、慶帆選手は自分の力が足りないと感じた時に良い転機となる環境が与えられている印象を受けます。
はじめての春高バレー( 全日本バレーボール高等学校選手権大会)で1回戦敗退した時は、全国レベルの実力を目の当たりにし自分との実力の差を感じたと言われていました。
その時は男子U18(ユース)日本代表候補合宿に参加することでより自分より上の実力者を研究し、それを自分のものとする努力を重ねていかれました。
高橋慶帆選手は法政大学へ!選んだ理由とは
高橋慶帆選手は現在
法制大学 経営学部
に在学中です。(2023年10月現在)
慶帆選手が法政大学を選んだ理由は
・アウトサイドヒッターに挑戦したいという意志に積極的に応えてくれた大学だった
・選手引退後のセカンドキャリアを考えて
の2つが情報として見つけることができました。
慶帆選手はオールラウンドな選手を目指していてその思いに応えて挑戦させてくれる環境をとっての法政大学進学だったようです。
大学に進学されたときは大学在学中に日本代表に選ばれる選手もいるけれど自分はその自信はありませんと話されていましたが、その2年後日本代表としてオリンピック出場権を自力で獲得したメンバーとなっているとはご本人も想像できなかったようですね。
まだまだ19歳なので今後の活躍を楽しみにしています。